そもそも文章を作者の意図に反して斜め読みしちゃまずいのですか?結構楽しいのにね。

自炊云々の話は自分で言うのもなんですがぐちゃぐちゃな書き方だったので、
ひとまず横に置くことに。
正直、自分自身は自炊(複製)をする必要が無いと感じているので、
以後、自炊行為の関係で言明するのは法的な解釈のみに止めたいと思います。

http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?p=1&cn=1&dn=32817&md=1
http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?cn=1&dn=32844
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111225/1324797973
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111228/1325062897

佐藤秀峰氏と岩崎夏海氏の論争です。
で、えーと、何でいくつかのサイトで話題になっているのか、論争になっているのか、
岩崎夏海氏は、今ひとつ理解されていないようです。


まず、佐藤秀峰氏に対する「財産処分権」での論破が出来ていません。
また、大西宏氏に対して行った発言でも同様。
「財産処分権」に関する発言を、「感情論や倫理」「誤読」の議論にすり替えて、
まったく無かったことにしているように見えます。

一番最初の記事における佐藤秀峰氏の発言

僕も目の前で著作本をビリビリに破かれたら悲しい気持ちになるだろうし、自炊を悪としたい気持ちも分からなくはありません。
ですが、本は購入した方の所有物ですから、破こうと捨てようと作家は口出しできる立場にはありません。
(中略)
購入した本は購入者の物で、楽しみ方は自由なはずです。
お年寄りの場合、電子書籍のほうが文字を拡大して表示できるので便利ですし、若者にしても、何冊も紙の本を持ち歩くのは重いので、データを端末に入れておいたほうが、どこでも読書ができて便利ということもあるでしょう。<佐藤氏>

佐藤氏の発言は、広義の「所有権」と、細分、明文化された「財産処分権」、
ならびに、「著作権の私的複製権」「作品を自分なりに理解して楽しむ自由」を、
理解若しくは考慮した上での発言であると無学な私ですら読み取れます。
勿論、漫画家としての感情も発言されています。


この佐藤氏の発言に対して為された岩崎夏海氏のブログ上の発言(引用)

当たり前ですが、本でも何でも、一個人の完全な所有物となるものなんて、この世にはありません。「物」は、言うならばこの世界そのものの「所有物」であり、人間にとってはむしろ「借り物」という方が近いです。今認められているいわゆる「所有権」とは、その「借り物」の処遇について、他の者よりも比較的多く決められる権利――くらいの意味しかないのです。
ですから、当たり前ですが、それを破いたり捨てたりしたら、作家のみならず、誰でも、この世界そのものの一員として(一部として)、それを咎め立てすることができます。と言うより、咎め立てするべきです。<岩崎氏>

日本国民に対して等しく認められている「財産処分権」を否定するが如く書かれたこの一文と、

上記でも述べましたが、購入した本の使い道は購入者の自由ではありません。まず、読み方からして「自由」ではありません。例えば「あ」という文字があったとしたら、これを「い」や「う」と読んではいけないのです。<岩崎氏>

書籍を購入した一般読者の「作品を自分なりに理解して楽しむ自由」すら奪ってしまう発言で、
(このような発言は、それこそ佐藤氏の文章の真意を「誤読」した為でしょう)
佐藤氏、大西氏を始め諸氏からのツッコミが各所で為された訳です。



上記の岩崎氏に対する佐藤氏の発言では、

僕は現在の日本の法律に照らし合わせて、「所有」という言葉を使っています。
宗教的、哲学的意味合いで「所有」という言葉を使っておりませんので、その前提でご理解いただければ幸いです。

すでに述べているように、僕は「所有」という言葉を、現在の日本における法的な意味合いで使っていますので、「購入した本は購入者の物で、楽しみ方は自由なはず」という僕の言葉は、正確には「所有権のおよぶ範囲で、所有物をどのように楽しんでも自由である」という意味に捉えてください。
所有権とは、「物の全面的支配すなわち自由に使用・収益・処分する権利」だそうですよ。<佐藤氏>

このように分かりやすく、噛み砕いて回答されていました。
普通に元の記事を読んでても読み取れるのですが、
岩崎氏が「誤読」した為か、かなり丁寧に補足されています。
ちゃんと「読者が楽しむ自由」も言明されています。
この発言に対する岩崎氏のコメントは、まだ無いようですね。


また、岩崎氏は大西宏氏に対しては「誤読している」として、指摘が的外れの如く発言されています。
大西氏が自身のブログでこのように発言され、

岩崎夏海さんが、やはり自炊は反対とブログで参戦したことです。ひさびさにお目にかかる炎上ネタです。<大西氏>

自炊のことを指摘されていた為、
岩崎氏は「自炊に関しては殆ど発言しておらず立場も明白にはしていない」としています。
しかし、以下の一文で佐藤氏への最初の発言内で「自炊行為に反対している」と読める表現をしています。

ですから、当たり前ですが、それを破いたり捨てたりしたら、作家のみならず、誰でも、この世界そのものの一員として(一部として)、それを咎め立てすることができます。と言うより、咎め立てするべきです。
<岩崎氏>

元々の佐藤氏の記事が自炊についての物であり、
自炊行為の「裁断」に対してこういう表現をしている以上は自炊反対と取られるでしょう。少なくとも私は「自炊に反対している」と取り(取れ)ました。
大西氏が「岩崎氏は自炊に反対である」と受け取るのも仕方ありません。

さらに岩崎氏は自身の「誤読」基準を以って、

(前略)大西さんは誤読しました。それでぼくは、大西さんとはもう、議論も話し合いも、金輪際することができなくなってしまったのです。
(中略)
大西さんとは、大西さんの方からぼくに対して「岩崎さん、誤読してすみませんでした」と心から謝罪をしてくれなければ、議論も話し合いも、何もできなくなってしまいます。
<岩崎氏>


こう述べ、謝罪が無い限り大西氏から予想される議論反論を受けられない、とまで言い切りました。
なお、岩崎氏は自ら「誤読」させるような文の書き方をしているのですから、
大西氏に対して、「大西氏は自分の記事を誤読している」
「誤読の件を謝罪しない限り議論は金輪際出来ない」と言うことは出来ません。
謝罪すべきは「誤読」させるような表現をした岩崎氏のほうではないのかと感じさせます。


また、大西氏は以下のような発言をされています。

そうだとするなら、岩崎さんは食品を食べ残し廃棄することも、古くなったモノをゴミとして処分することもしてはならないことになります。自宅の立つ土地も自分のものだと主張することすらおこがましいことになってしまいかねません。
<大西氏>


大西氏は財産処分権に基づいたごく一般的な考えを述べています。
ここに対する岩崎氏の答えは無いようです。
岩崎氏が一番答えに詰まっているところでは無いかと感じさせます。

そもそも、発端である佐藤氏の自炊代行に関する記事は、
倫理観よりは法律論が主題(法的に白か黒か)になっていますので、
ぜひとも岩崎氏の財産処分権に関する認識を聞きたいものです。







自炊とも、財産処分権とも違った視点で岩崎夏海氏には苦言を呈したい個所があります。
「作品を自分なりに理解して楽しむ自由」
これって、読者にとっては結構重要なんです。国語教科書の読解以前の問題です。
違った視点で文学作品を見つめて批評するなんてそこら中で良くある事です。
当然、岩崎氏がお嫌いな「誤読」もその過程で生ずることでしょう。
ただ、著者によってある一定の解釈を強いられ、「こう読め、ああ読め」なんて言われ、
さらに「誤読するな」と言われるのなら馬鹿らしいので迷わず焚書します。
作品を選ぶのは読者です。作品の読み方を決めるのも、読者です。
それを忘れているのでしょうか。

ですから、ぼくは、誤読というのは許さないようにしているのです。こう書くとまた誤読する人がいるかもしれませんのであらかじめ断っておきますと、たとえぼくが許さないからといって、他者に対して何かを強制できるわけではありません。そんなことははじめから分かっています。<岩崎氏>

「誤読をするな」という事を「強制できない」事が分かっているのなら、読者、また、これから読者になる人達に強制などしないでください。
その言明が、岩崎氏の著作を読もうとする方の「作品を楽しむ自由」を奪います。
ひいては、岩崎氏の著作が、誰からも見向きされなくなる事にも繋がります。
書籍(文学、漫画問わず)を愛する人間として、岩崎氏のこの発言自体が不愉快なのです。
読者の誤読が不快であるのならば、誤読されないように、
文面の推敲をするなどして自分ひとりで何も言わずに努力してください。独善的な言明など、わざわざしないでください。
それが岩崎氏の作品の質の向上に繋がります。


岩崎氏は今一度頭を冷やしたほうが良いのではないでしょうか?
作品をおおっぴらに貶めない限り多少の誤読や曲解にも寛容であるべきです。
もしくは、誤読を前提にした作品の執筆を心掛けるべきではないでしょうか?


岩崎氏に強制はしませんが、私の文章は、誤読されなければ意図を汲み取ってもらえて、
また誤読にも寛容になってもらえると思っています。